今日は普段からボランティアをしている教会で
ボランティア参加者への感謝パーティーが開かれました。
普段からチャイルドケアや駐車場の交通整備、
礼拝のメディア機器や音楽バンドを手伝っている人たちが
一同に招待され、食事と音楽を楽しみました。
(アメリカ南部人の好物:ビスケット&グレイビーは欠かせない。)
アメリカ南部のこの地域ではボランティアは当たり前で
「やってあげている」意識などほとんどなく助け合っているのですが、
逆に何かを「してくれたこと」に対して感謝を表すのがとても上手で自然です。
これは教会だけでなく、スタバでコーヒーを買っても
こちらから
「Thank you!」
というのが普通で、店員さんからは
「You are welcome!」(どういたしまして!)
と返されることもしばしば。
「客だから偉い」
とか、
「お金を払っているから偉い」
という概念はありません。
逆に日本人はある意味では理想が高く、
何かをする方も、してもらう方も
「やるのが当たり前」
「やってもらうのが当たり前」
という状態になりがちですね。
逆に店員がなにかを間違えた、気に食わなかったときの
クレームはすごいわりに、
料理を運んでもらってもらっても無視。
(若い人ほど行儀がいい人が増えてる気はしますが。)
特に、同じ組織やチーム内で自分より立場が低い人へ
横柄な態度をとる人が多いのは目を覆うばかりです。
近頃、日本では
「奨学金は金融屋が儲けるためのローンだ!」
「学ぶ意欲のある若い人に負担を強いるのか!」
などと、日本学生支援機構を批判する論調が目立ちますが、
ほとんど金融的な信用がない18歳そこそこの人が
なぜ
「数百万円を貸してもらえて当たり前」
だと思ってるんですかね?
確かにアメリカでは給付型の奨学金が充実していますが、
そもそも公立大学であっても州外からの学生の授業料は
1年間で平均約2400ドル(250万円)と非常に高く、
(アメリカの大学の平均授業料のデータはこちら)
学生の多くはすべて奨学金で学費をまかなえるわけではないので、
卒業時には300万円以上の学生ローンを背負っています。
しかも学生ローンであっても金利は5%〜6%と日本の”奨学金”よりも高い基準となっています。
もちろん、
数十年かけて学費を返済していくのは大変ですし、
学生が巨額の借金に頼っている現状は問題視されていますが、
それでも
「社会が悪いからお金返したくないんだけど。」
などという論調はありません。
もしあなたがそうやって
・やってもらえなかったことに対して文句をいう人
・気に食わないことに対して悪者探しをしている人
であるなら、
(これを読んでいる人はそうでないことを祈りますが)
今日からは
・やってもらった小さなことに気づける人
・今、与えられているものに感謝できる人
に変わってみませんか?