10年以上前、日本でフリーターをしていたとき、
初対面の人と互いに敬語で話していると、
こちらが相手より年下だと分かった瞬間、
タメ語で話してくる奴らがいました。
当時は
「随分失礼なやつだ」
と思ったものですが、すぐに日本ではそういう人が
多いことに気付きました。
アメリカに住んでいて久々に日本人の人たちと話をすると
こちらが年下だと知った瞬間タメ語に切り変わる人がいると
今でも戸惑います。
こんな経験から、ふと、
「日本人はなぜ年上だからタメ語で喋っていいと考える奴が多いのか」
考えてみました。
僕自身の個人的な意見:
僕自身は大人同士であれば、打ち解けてお互いの距離感がつかめるまでは
どちらも敬語で話すのが礼儀なのではないかと思います。
自分が年下だから相手に対し敬語を使う、
というのは全く問題と思いますが、相手が年下だから
自動的にタメ語になるというのは感じが悪いと思います。
最悪なのは、自分が年上だからといって、勝手に
自分が敬われるべきだと思っている人。
こういうのは最悪ですが、意外とお互いにタメ語で
親しく話していた後に、後から
「あいつは年下のくせに敬語を使わなかった」
などと、陰口を言っている人もいて、
甚だしい勘違いだと思います。
アメリカなどではどうなのか?
アメリカ人は小学生未満の子供を除いては
年齢によって話し方を変えることはありません。
話し方だけでなく、アメリカでは中学生であっても、
一人の人格のある人間と見られるので、
真面目に意見や考えを言えば、
大人はそれに対し、真面目に受け答えをします。
日本人のように、中高生や若者を子供扱いして
適当にはぐらかすことはありません。
また、僕の周りには中国人の友人がたくさん
いるのですが、中国人も1つや2つ年齢が
違う程度では話し方を変えません。
日本人のコミュニケーションの特性。
多くの日本人は、初対面の人と会った際、
相手の年齢を聞き出そうとします。
年齢だけでなく、組織の中での年次や、立場を確認し、
”どちらが上か”を決めた上で、敬語で話すか、タメ語で話すか、
どれくらい砕けた言葉で話すかを決めています。
特に日本とアメリカを比べた場合、
アメリカでは立場は、あくまでその人に与えられた役割であるのに対し、
日本では立場がコミュニケーションにおける上下関係を規定してしまいます。
(※実際は日本だけでなく、韓国でも日本と同じように
年齢や軍隊を卒業した年次などによって格付けをしあうようです。
韓国は集団や人間関係のあり方が非常に日本に似ていると思います。)
立場主義の弊害。
アメリカでは上司、部下の間であっても、
お客さんと店員の間であっても、
上司やお客さんが人格的に上であるという意識はありません。
もちろん、上司と部下の間には権力の差がありますから、
その権力を悪用しようとする人格的に問題のある人間も
いるでしょうが、まともな人であれば、上司、つまり
マネージャーの仕事は、達成するべき目標のために
部下に働いてもらうことであると理解していますし、
日本人のおっさんのような説教もしてきません。
むしろ21世紀の今、仕事上の指示命令系統と人間の優劣を
ごちゃごちゃにしている人など僕が知る限りいません。
(※反例を知っている方がいたらメールで教えてもらえると嬉しいです。)
(※1950年代はアメリカでもそういう上司はたくさんいたようです。)
逆に日本では、ほぼすべてのコミュニケーションにおいて、
立場によって上下関係を作ってしまうため、
組織の中で重要な決定が、偉い人の気分で決まってしまいますし、
会議が長引くとなぜか上司の武勇伝+人生論を聞かされる
流れになったりします。
この立場主義的な人間関係のあり方は、上司部下だけでなく、
親子間、先輩後輩、お客さんと店員さんなどあらゆる場面で見られ、
「正しい真理」よりも、「立場が上の人が言うこと」の方が
正しくなってしまうという弊害が生まれています。
アメリカで生活していて、周りがアメリカ人と中国人ばかりだと、
そんなことを忘れてしまうのですが、たまに日本人と出会うと
こんなことを感じるのです。
日本人が英会話ができない理由。
英語に敬語がないわけではないのですが、
英語で話す時は日本語で話す時のように
最初に上下関係をはっきりさせる必要がありません。
しかし、日本人は立場を決めてからでないと、
お互いの距離感をどう縮めていけばいいのか分かりませんし、
外国人となると、さらにどのようにお互いを位置づければよいか
分からなくなってしまいます。
それこそが、多くの日本人が英語をいくら勉強しても、
アメリカ人などと打ち解けて会話を出来るように
ならない理由の一つだと思います。