一昨日はアメリカでのクリスマスと独立記念日に並んで、最も大きな祝日、「サンクスギビング」(感謝祭)だったので、知り合いのイラン系アメリカ人夫婦のおうちに招待されて夕食を頂いてきました。
そのおじさんは1979年のイラン革命の際に、アメリカに避難してきてそれから定住している数学者の方です。食事には、そのおじさんの息子(イラン系2世)とその友人(ベネズエラとリビアのハーフのアメリカ人)も来ていて一緒に色々話をしました。ちなみに、彼らのバックグラウンドはイスラム教です。
で、普通日本人が”アメリカ人”とか”ガイジン”というと、こんな感じの人たちを想像する人が多いですが、
実際の”アメリカ人”はこんな感じですかね。
現在アメリカではヒスパニックと呼ばれる、メキシコや南米をルーツとするスペイン語系の人たちをはじめ、白人でない人の人口がどんどん増えていて、様々なバックグラウンドを持つ人々が混在しています。そして各自のアイデンティティを持ちながらも「アメリカ」という融合された文化をつくっているダイナミズムがあります。
一昨日の食卓でも、そのベネズエラハーフの兄ちゃんに
「日本は社会主義的だと思うか?」
など、日本について色々質問されました。 で、僕が
「ある意味では社会主義的だ。例えば会社で成果をだしてもせいぜいボーナスが1万円くらい増えるだけのところも多い。」
などと返すと、彼は、
「日本人は仕事を稼ぎに反映させるよりも、社会的な承認が重要なのか?アメリカとは大分違う価値観だ。でもスウェーデンなどの北欧なんかはどちらかというと日本に近いんではないか?」
などと、結構深いことに興味を持って聞いてきます。
彼だけでなく、そのイラン出身のおじさんやその息子とは、ムスリムとキリスト教徒の関係や、資本主義の問題点について議論させられる(?)ことも多いです。
実際、こうやってカルチャーが違う人たちと会話して理解しあったり、ケンカしたりするのって、英語が上手とか、そういうことじゃなくて、相手の文化やバックグラウンドに興味をもって質問したり、自分の考えをぶつけてみることが大事なんですよね。
で、そうやって、他の文化や歴史を学んで、海外の人と話しをたくさんしていれば英語くらい喋れますよ。英語だろうと日本語だろうと、結局は言語を介した人間同士のコミュニケーションです。
きっと英語の勉強ばかりしていないで歴史なり、音楽なり、フットボールなりを学んだ方が話せる内容が増えますし、結果、英語が喋れるようになると思います。